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by ちーちゃん

忘れた答え(●^o^●)ゴミは何袋だったでしょうか?

こんばんは!今日はお盆で親戚が来てくれました

さてさてー昨日のブログで「ゴミ袋はいくつでしょうか?」と問題を出しておいて

答えを書き込むのを忘れたー

さ~いくつになったと思う?006.gif

今日はゴミ出しの日だったんですが…とても一人では持っていけなーい

あ~ちゃんがワゴンを持っているんですが2往復しても無理かも

なんとなんと…姉ちゃんのゴミ袋が5こ!

私が片付け片付けで出たゴミはなんと5袋!!!

それとは別に台所や他で出たごみを合わせると…全部で12袋!

これだけのゴミは…車で持っていきました004.gif 

「いるもの『保管するもの』『直ぐ出せるようにするもの』」と「処分するもの」

その「処分するもの」がこれだけ出たー

でもまだ片付けは完成していません!

お休み中家のおそうじで終わりそうです003.gif 


さて、昨日お話ししたレシピ!公開しました060.gif



簡単なのでぜひ作ってくださいねー





明日は終戦記念日

結婚するまで気にすることなくきた私ですが

結婚して3月に亡くなったおばあちゃんと一緒に暮らすようになり

「戦争」を身近に感じるようになりました

それはおばあちゃんは戦争未亡人だからです

おじいさんは若くして日本ではなく離れた島で戦死をしました

「おじいさん」とは言えない若さで…たった30代で亡くなりました

日本には30歳にならない妻と2人の子供を残して…



だんなさんがおじいさんが戦死した年になったとき

おばあちゃんは「こんなに若かったんだなー」と孫を見て言った

「大丈夫だよ、この人はまだ家族を残して死なないよ」



全く戦争を知らないで過ごしてきた21年間だった私

おばあちゃんの家には戦死したおじいさんをたたえる賞状と兵隊姿の絵

おばあちゃんが元気だったころよく聞いたお話し

少しずつですがおばあちゃんの話を思い出しながらしたいなと思います

お話しできるときに少しずつ…





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いつも心温まるコメントをありがとうございます

腱鞘炎で痛めてしまって右手と左手の親指と人差し指だけで

パソコンを使っていますのでコメントのお返事をしたいのですが

キーボードを打つのに時間がかかります

腱鞘炎がよくなるまでコメントのお返事をお休みさせていただきます

どうぞ、よろしくお願いします!
    
      
また、コメント欄に困るような内容を毎日のように書き込むという

迷惑行為を楽しんでする人がいるために
     
皆さまにはいつも嫌な思いをさせてしまってすみません

私の判断で消去させていただますのでご理解、よろしくお願いします。                                 
                                               千里

大好きな家族とわいわい!生きるのっていいね!
夏菜もわたしも・・・みんなで明日も楽しく過ごそうね\(^o^)/By-千里

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by chisato-antares | 2010-08-14 21:20 | Comments(5)
Commented by tomokorissen at 2010-08-14 21:42
私の母は、小さい頃、空襲の中を走って逃げたそうです。でもこれを外で喋ると、年がバレるからやめて〜と言ってましたけど。
Commented by ゆうき at 2010-08-14 21:45 x
そうそう、「ゴミ袋はいくつでしょうか?」 って問題提起だけで答えがないんだもん。ちょっと悶々としてしまいました。
12袋はすごい・・・・。とてもじゃないけれど一人じゃ持っていけないね。
お疲れ様でした。

ヨーグルトムース作ってみるね。
暑い時にぴったりなおやつだね。
Commented by ゆうき at 2010-08-14 21:54 x
PS 私の祖父母も戦争中、辛い目にあったようです。
それぞれの戦争、そえぞれの思い、しっかりと受け止めて次世代に伝えて行こうと思います。二度と悲劇を繰り返さないために。
Commented by M.K. at 2010-08-14 23:05 x
戦争の話しねー、時々知っていること、体験したことを話すとイヤーな顔したり、興味ないと無視する若い人が多かったのですが、今年は今までとは少し違うようで、みんながもっと話してというので驚いています。

戦前、戦時中、戦後と私の子供時代は大変でした。戦時中は勿論空襲、夜中も何度も防空壕へ走りました。 灯火管制で家の中の電灯には黒い覆いをかけて部屋の灯りが外から見えないようにしていましたし、だんだん物資が配給切符制になったり、食糧事情が極端に悪くなったりしました。食糧難は実際には終戦後の方が もっよきつかったのですが。 疎開先ではイナゴの天麩羅かよく食卓に上りました。サツマイモの角切りがゴロゴロ入ったご飯(お米を節約するため)やコーリャンの入ったご飯に大根飯、米粒の少ないシャビシャビのお雑炊に、サツマイモの茎の煮たのとかがご馳走でした。お砂糖なんて超高級品でしたし、先ず手に入りませんでしたね。 

伯父は二人戦死、夫の弟もビルまで戦死、私共の住んでいた家は空襲で丸焼け、幼稚園からの友達は焼夷弾をまともに受けて焼死、ともういろいろありました。 

Commented by ミッツィ at 2010-08-15 01:59 x
私の両親はどちらも農家の生まれなので、戦時中でも
食べ物に困る事は無かったようですが、田んぼ道で空襲にあって
急いで近くの薮の中に隠れた話を聞いた事があります。
戦闘機が、それこそパイロットの顔が見える位に低空飛行する
事もあったとか。

叔父の姑が、戦争で夫を2人亡くしています。
最初の夫は乳飲み子を残し戦死、その後夫の弟と逆縁しましたが
その夫も戦死・・・。
舅・姑に仕え、子供を育て、長い長い戦後だったと思います。
昨年、90余歳で亡くなりましたが、悠々自適な老後だったのが
救いです。
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